「死にたい」という人、本当に死んでしまう人のなんと多いことなんだろう。自分は死にたいと思うことはあっても、「いずれ死んでしまうのに、なんで生きてるんだろう」と思うことのほうが多い。それを考え始めると全てのことが無意味に感じる。仕事だって、例え自分がいなくなってもいくらでも代わりの人がいるのに、そんなことに心血注いで一生終えるのかと思うと絶望。かといって自分だけにできることもない。好きなことも、勉強したことも、この世からいなくなれば無になるだけ。偉人が成し遂げたすごいことも、凡人が生きた毎日も、この地球すらも、いずれはなくなる。

 

究極に突き詰めると人生は無なのに、死からは逃げられないのに、どうして今死んではいけないか。死んではいけない明確な理由はないのかもしれない。ただただ、あなたがいなくなったら悲しい。ほんとうにそれだけ。だからこそ、絶対に死んではいけない。

 

バズっててよくみかける「苦しいことが沢山あるけど、あったかい布団で寝て、おいしいもの食べて、好きな人と話して、毎日を生きよう」って内容のツイート、マジで糞食らえと思ってる。うまく寝付けることができないほど悩み、飯もロクに味がせず、話をできる人間がまわりにいない人たちが人生に絶望して、場合によっては自らこの世を去ってしまうんだ。

 

無職だから毎日暇で、生きる意味についてとことん考えてるけど、考えれば考えるほど人生は無意味で理不尽なものだと思う。それはもう、うんざりするほどに。だから自分は骨の髄まで理不尽を味わうことに決めた。人生が思い通りにいかないのは当たり前。どんなに訴えかけてもわかってもらえないのが自然。どうしてもこうしても、理由なんてない。

 

虚しい考えなのかもしれない。間違ってるのかもしれない。でも、向き合う前からこのことにはうすうす気づいてた。前職での経験のおかげかも。中島義道という哲学者の本を読んで、自分と同じ考えの人がいて安心した。たとえこの考えが少数派だったとしても、似たようなことで悩み、考えてる人がこの世に確実に存在していると思うと涙が止まらなかった。

 

人生が無意味で理不尽だと理解した上で行動すると不思議と毎日が楽しくなった。理由はよくわからないけど、吹っ切れたというか。自分がどうしたいのかもわかるようになった。だから仕事も辞めたし、この前自分でも驚いたのだが随分、他人に思ってることを話せるようになった。人のことが怖くなくなった。正確にいうとまだ怖いけど、何を言っても嫌われる人には嫌われるし、好かれる人には好かれることを知ったから、いい意味でどうでもよくなった。

 

私が知りうる全ての人々、頼むから生きてくれ。幸せでいられればそれに越したことはないが、全員が幸せになるのは難しいだろう。でもそれもまた人生。悲しくてもつらくてもただ、生きてくれ。んでもし死にたくなったら話してくれ。最初に断っておくけどあなたの悩みを根本的に解決することは不可能。ただ、話を聞くのみ。答えを出せるのは自分だけ。

 

とりあえず、すげーぼんやりだけど、やりたいこと見つかったので、来月から就活します。