バルコニーでタバコを吸いながら外の景色を眺める。目の前のアパートの一室はいつも電気が消えて真っ暗なんだけど、テレビの光だけチカチカしてるのがうっすらと見える。これを書いてる今は珍しくテレビも消えて真っ暗だ。顔も見たこともない人だけど、何かあったのだろうか。きっと理由なんてなく偶然なんだろうけど、気になる。

 

明かりがついている部屋の数だけそこに生活があり、人間がいる。自分もその中の一部である。みんな色々なことを考えたり感じたりしながら生きている。私は普段から「自分だけがこんなに悲しくて、つらい」という思いを抱きがちで、母からよく「みんなそれぞれ悩みがあるんだよ」と言われたことを思い出した(ちなみに昨日も言われた)。

 

私の苦しみは誰にもわからないだろう。同時に、あなたの苦しみも私にはわからない。理解するよう寄り添うことはできても、完全にわかることは不可能だ。私の苦しみといえば、体や見た目のコンプレックスなどを挙げたらキリがないけど、一番大きなものはおそらく、他人から受けた心ない言葉だ。それは、親から言われたこともあるし、同級生からもあるし、上司や同僚からもある。

 

言われた側が根に持ちいつまでも覚えているのが当たり前だと思っていた。しかし、言った側は全く覚えていないことを最近知った。もしかすると、何気なく言った一言を自分が悪く捉えていたのかもしれない。とにもかくにも、自分だけがいつまでも執着しているなんて、なんてばかばかしいことなんだろう。同時に、自分も誰かを傷つけていた可能性があることを忘れてはならない。でも私は聖人でもないただの人間、いや、まだ人間ですらない人間候補なのかもしれないから、この先も自分の言葉や態度が知らず知らずのうちに相手を傷つける時もあるだろう。だからもう何もかも水に流して、全員お互い様で終わりにしようと思う。いちいちモロにくらって反芻していたら、大変なことになる。

 

悲しいけど、この世は平気で嫌なことをしてくる人間で溢れている。でもそんな奴らの悪意を、少しでも察知したら、関わらない。もし攻撃をくらったら、最小限に留める。これに尽きる。よほど目に余る場合や、自分の人生に悪い影響が出てきそうな場合は立ち向かってもいいと思うけど。とりあえず最近はフォールガイズでゴール前で邪魔しようと立ってる人見かけたらメチャメチャ距離置くようにしてる。こういう人間の性根を叩き直す義理も時間も私にはないのだ。

 

どうして、向かいのアパートの住人の話からここに辿り着いたのだろう。思考の海を泳いでいると毎回よくわからない場所に到着する。でもこれが紛れもない自分の考えなんだと思うと安心する。他人から見たらおかしな場所にいるのかもしれないが、泳いでよかったと思う。どんな答えでも自分が行き着いた場所はいつでも綺麗だ。また考えが変わって違う場所に辿り着くのも、それはそれで楽しみだ。上司に「そんなに深く考えるなら山にこもって仙人とか哲学者にでもなれば?」と明らかにバカにした態度で言われたのがショックでそれ以来物事を深く考えないようにしてたけど、もはやこの人間の言葉なんてどうでもいいのだ。何故なら考えて考えて考え抜くことが大好きなのが私だからだ。誰に迷惑をかけるわけでもない、これが好きなんだから仕方ないのだ。他人にとやかく言われる筋合いはない。

 

疲れたので寝ます。脈絡ないですが最近の頭ん中はこんな感じという話です。結論、色々あるとは思いますが、腹立つことは気にしないで各々頑張りましょう。2、3日の間に日記的なもの書きたいと思ってます。多幸感がすごいのでストレス溜まったら聴いてみてね。

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